良く、少年野球、中学や高校野球を見に行くが、しばしば試合中に怒鳴り散らす監督やコーチを見かける。
そこで思うのは、「誰の為の野球なのか」という事である。
当然、プレーに対しての叱咤・激励という事も意味合いとしてはあるかもしれない。
だが、それは普段からの相手との信頼関係があってこそ成り立つ事である。
多くの場合はそのありがたい叱咤・激励によって萎縮してプレーしてしまう。
そういったプレーヤーの特徴は顕著に表れる。
・ 何もしていないのに、すぐにベンチ(監督・コーチ)の顔を伺う
・ 慌てて予期せぬプレーをする
・ 怒られないように行動をする
・ いざチャンスという時に堂々とプレーできない
などなど、いくらでも出てくると思う。さらにそういったプレーヤーは怒られるのを避ける為に言われた事しかできなかったり、行動しなくなってくる。
これは大きく相手の可能性を奪ってしまっているのではないかと思う。
私は少年野球とは違うところで子どもたちに指導する事があるが、チームで厳しく挨拶・礼儀を徹底されているにも関わらず、私の前では挨拶しないという事もしばしばある(それはそれでダメなのかもしれないが)
結局、それは「監督・コーチに怒られるから挨拶する」事になってしまっていると言えるのではないでしょうか。
靴や荷物もチームではキチッと並べるが、それも出来る子は少ない。きっと家でも同じ事と思う。
すべて相手への「恐怖」や「不安」が背景としてあるとこの様な傾向が出てくる。
ある条件下でしかできない事というのはほとんど意味がない。
挨拶や荷物整理はもちろん大切である。だがそれを強制し「怒られる」からという理由では学んでほしくない。
挨拶の重要性や荷物整理は本人たちがやっていく中で学んでいくものだ。
もちろんなぜそれをするのか、どうしてそうするのかは伝えていくべきだと思うが、強制をしては意味為さない。
一方的に教え込んでも、本人達には残る事はないからだ。
何か上の立場になっていく人、特に子どもを相手にしている場合には
「子ども達の未来に何が残せるか」という視点を念頭に置いておかないと、本人の為にならないのではないだろうか。
少なくとも私の実体験からもそう思う。
指導者は自分のエゴだけの為に、子ども達を利用してはならない。
大切なのは「誰の為」なのかという事を理解する事だ。
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